2018年1月16日火曜日

円山町のWOMBで開かれたDEVILMAN NIGHT by NETFLIX

WOMBの入り口にあったパネル
二〇一七年も暮れにせまった十二月二十八日は木曜日、Netflix独自制作配信のアニメ「DEVILMAN Crybaby」の関連企画が渋谷は丸山町のクラブWOMBにてひらかれたので行って来た。

 実はその日、筆者はあの知る人ぞ知る早稲田のあかねにてヤン・アスマンの「エジプト人モーセ」(原著一九九七)を中心として一神教というものを語るというトークイベントを企画して出席していたため、「デビルマン」の内容とあいまってはからずもタイムリーな催しとなった。


 筆者が着いたのは一時を過ぎたあたり。WOMBに来たのはもう八年振りである。とりあえず三階まで見て回る。一階のラウンジには大きなテレビといくつもある卓の上にそれぞれタブレットがおいてあり、Netflixの番組がかかっている。テレビでかかっているのは「パニッシャー」だったが、タブレットには「ルシファー」が流れていて洒落がきいていると思った。また、ラウンジには筆者がこのところ毎月かよっているあの社交イベントデパートメントHでおなじみのドラァグクィーンたるアマゾネス・ダイアンさんがいた。おもいかけず知り合いに合うのは嬉しいものである。
アマゾネス・ダイアンさん

 石野卓球の登板は三時から四時半までのようなのでとりあえずそこまでいることにする。一階でスタッフの方からなんらかのSNSに#デビルマンが蘇る というハッシュタグをつけて投稿すると飲み物一杯無料とのことだったのでフェイスブックに投稿。二階のバーで特別カクテルサバトというのをいただいてみると、これが単なるジントニック。

オリジナルカクテルサバト
一階のラウンジから三階のDJブース前まで客はおしなべておとなしい印象。なんだか往時のクラブの盛り上がりとの差を感じた。しかし、二階メインフロアには何人もの女性ダンサーが扇情的な格好で踊っており、またポールダンスもあってそこは悪魔的な雰囲気をかもしだす努力がみえる。


 石野卓球が回すのを待って、終りまでひとしきり踊る。やはりアニメの関連企画だけあってかあいまの映像が面白い。それに巨匠のプレイというのはやはりいいものだ。

 今回のイベントは日本が配信を介した映像産業の世界単一市場にいよいよ本格的に参入したことを象徴するものであろう。Netflixは二〇一五年の九月に日本へ上陸したが、二〇一七年の十二月を持って定着の成功にもひと区切りがついたのではなかろうか。
 

 

2015年8月19日水曜日

カリードについて

  この夏の筆者の家にはよく人が泊りに来る。八月十日月曜日にはカリードという奴がやって来た。こいつはその朝に連絡を寄こし、午後に到着することになった。午後、カリードが着いた。顔立ちはやや厚ぼったい印象があるも、眉が太く目鼻立ちの整った男前である。聞くとその朝はサンフランシスコでサーフィンをしており、このサンタクルーズでも暇を見て波乗りに興じたいとのこと。話し方は早口で気さく。端々に俗語が挟まれる。リベラルでありつつ、ドラマ「シリコン・ヴァレー」で知られるコメディアンのT.J.ミラーのような心地よい悪辣さも感じる。まさしく今どきの批判性のある知的で話のわかる若い者だ。

 以下は本人から聞いた話とそいつSNSページの内容を統合した情報である。このカリード・アルジャナールは一九九一年生まれ。ユタ州ソルトレイクシティ出身。両親はクウェート出身で八十年代に合衆国に渡って来たそうだ。先日、ユタ州の地元の大学を卒業し、現在は旅行中でスタンフォード大学に通う妹を訪ねがてら、北カリフォルニアからロサンゼルスへと南下しているとのこと。大学では医用工学を学んだ。ちなみに、筆者へ日本で就職できないかと訊いて来たので、筆者は以前京都で医療機器会社に勤めるアメリカ人と会って話した経験を語り、就職して暮らすとすれば京都などいいのではないかとすすめておいた。

 また、高校時代から大学時代にかけてはサッカーに打ち込み、一時はプロ選手も目指していたらしい(これはSNSで見た情報)。それに高校時代はトランスDJもやっていたことがあり、パーティで何度も皿を回していたそうだ。(これは二人でダウンタウンのスーパーに買い物に行く時に、音楽はなにを聴くか問われ、アーミン・ヴァン・ビューレンなどのダッチトランスなどと答えると話してくれた)。ちなみにカリードが以前作ったというトランスの曲を二曲聴かせてもらったが、ありきたりなティエストという感じで、あがることはあがるが、ちょっと独創性に乏しかった。本人もそれはわかっているようで、パーティでかけるにあたってはそれが妥当だろうとのこと。筆者も同意する。
 それに、大学では友愛会に所属していたそうだ。実は筆者が友愛会出の者に会ったのはこれが初めてのはずだ。
 バーニングマンに行ってみたくないかと訊いてみたところ、案の定、出来れば三年以内に参加してみたいとの返事。

 夜、カリフォルニア大学サンタクルーズ校のキャンパス内ある知る人ぞ知る学生の居住地であるトレイラーズをともに訪ねることにした。行きの車中でカリフォルニア大学サンタクルーズ校の二大伝統である420ディの集会ファーストレインについて話した。カリードは特に後者の話を面白がり、その後の帰りの車中では自分もそこにいたらまちがいなく参加しただろうとかたった。トレイラーズパークに着いた。しばらく共同部屋に過ごして住人らと語り合い。カリードの提案でキャンパスを散歩することにした。夏休み中のキャンパスはしずまりかえっている。歩きながらカリードがユタ州やそこの大学の文化について話してくれた。なんとユタ州の大学には酒を飲まない方針をとっている友愛会さえあるそうだ。変な話だ。また、ユタ州の保守性に愚痴をこぼしつつ、ソルトレイクシティは高気圧の日にスモッグが発生することも教えてくれた。

そしてわれわれは帰宅し、翌日にカリードは旅立って行った。若いアメリカの姿だった。


2015年7月3日金曜日

六月は第三週末の抵抗文化的な催し

   二〇一五年の六月は第三週の金曜日と土曜日に二日連続で抵抗文化的な催しに行った。金曜日はサンタクルーズ美術歴史博物館でひらかれたグレイトフル・デッドのジェリー・ガーシア展関連企画の抵抗文化祭。土曜日はサンロレンゾ公園でひらかれた夏至を祝う祭典であった。


金曜日、サンタクルーズ美術歴史博物館には午後五時頃に到着。三十分ほど過ごしたであろうか。来ていた人は年配の方が多かった。やはり六十年代と七十年代の現場に居合わせた人々なのであろう。尊いものだ。


 土曜日、夏至祭には知り合いがひらいた催しということもあって足を運んだ。来ている人は四十人くらい小規模な会だった。ただし、無料でヴィーガン料理が出て音楽の演奏もあった。最後にメキシコの先住民のシャーマンの方が出て、東西南北と太陽と天と大地の神々に祈るという儀式があった。その際、西方の神を祖父なる神と呼んだのだが、父でも母でもない祖父なる神という神格のあり方はなかなかいいと思った。





2015年1月17日土曜日

サンフランシスコ市庁舎前でひらかれたシャルリ・エブド襲撃事件追悼抗議集会に行った一日

 二〇一五年一月一一日は日曜日、シャルリ・エブド襲撃事件を追悼抗議するためにサンフランシスコ市庁舎前でひらかれた集会へ行って来た。集会自体にいたのは一時間ほどであったが、その一日は筆者の生活を通じて二〇一五年始めの世界情勢や文化を一日をよく表す一例となると思う。

 五時ごろには起きて、朝食を取りながらBBCのドラマ「ブロードチャーチ」の第七話と最終話を観る。合間にBBC国際で中継されていたパリの大規模デモの様子も伺った。

 九時前にサンタクルーズにある協同住宅のひとつで、おもにアナーキストが暮らし、サンタクルーズの活動界隈の集会所として使われることもあるザミ協同住宅に向かった。ザミ協同住宅に暮らす友人がその日バークリーでソードファイト、つまり中世の騎士の戦争や闘いに擬した遊びに行くこというので、筆者も途中までその車に乗せてもらうことになっていたのだ。九時にザミ協同住宅に着き、一時間ほどザミで待った。その間、友人マット・ウォルツとフランスとアメリカの政治的風土の違いなどを話した。マット・ウォルツの友人が運転する車が来た。そのバンにはご一家とくわえて二人、計六名の人がすでに乗っている。道中、やはりソードファイトに行くせいか、みなは「指輪物語」の歴史的背景の話などを和気藹々と語っている。一時間程してバークリーへ到着し、地下鉄アシュビー駅で降ろしてもらう。

 地下鉄に乗り、サンフランシスコのダウンタウンへ向かい、パウエル駅で降りる。中華街で鶏肉の炒麺を昼食にいただいた。 
マーケット通りへ歩くと、中華街の龍門前にあるフランス風のカフェ、カフェ・ドゥ・ラ・プレスにの「私はシャルリ」の標語が貼り出してあった。この店には思いがけずあとで入ることになる。

 集会は十四時に開始とのことだったので、それまでマーケット通りのコーヒービーン&ティーリーフで待つことにする。ところで以前ここに来た時にも感じたが、心なしかロシア語話者が多い気がした。実際、サンフランシスコには歴史深きロシア人コミュニティがあるのだ。カフェで本など読みながら待つ間に集会に誘ってくれた友人からメールが届く。もうすぐダウンタウンに着くというので、合流することになった。スイスはヴァレー出身の若者である。フランス人ではないが、フランス語話者ということもあってか、今回のシャルル・エブド襲撃事件を憂慮したらしい。そいつが来た。市庁舎前へ向かう。途中で仏教僧を装った物乞いから平安は祈られつつ半ば強引に寄付を求められるも、同行のヴァレー人が「平和はただであるべし」と一喝し、ことなきを得る。特殊な物乞いというのもなんとなくパリを思い出させた。

 市庁舎前に来た。すでに黒山の人だかりである。二時をしばらく過ぎて、まず黙祷。続いて事件の犠牲者の名前が読み上げられ、「ラ・マルセイエーズ」を歌う。同行していた友人のフレデリック・レーは近くに立っていた人と話し始め、表現の自由を語っている。しばらくしてレーの提案に従い名残惜しみながらもその場を去って食事に行くことにする。

  中華街を目指して東へ歩く。途中、ちょっと迷いつつグレイス大聖堂にも寄る。この大聖堂の壁画は諸宗教の融和を表しているため、今回の事件との不思議なつながりを感じた。

 中華街へ着いた。麺の専門店でワンタンを食べる。レーがその時現金をあまり持っていないというので、あとで飲み物で代えるということで、その場を筆者が奢った。レーの提案により、龍門前のカフェ・ドゥ・ラ・プレスへ行くことにする。途中、胡弓を弾いている人がおり、レーが楽器の名を気にしていたので、あれはペルシアの弓というのだと教えた。

 カフェ・ドゥ・ラ・プレスに着いた。席に座り、テレビへ目をやると早速さっきの集会の模様がパリのデモとともに報道されている。その時たまたまヨーロッパ史に関する総合的な本を持ち歩いていたので、それをヴァレー人に見せながらスイスの話などを色々聞いた。しばらくして、レーの友人でいまはサンフランシスコに暮らしているという女性が我々に合流し、襲撃事件や集会や現代フランスのことなどを説明し、語り合った。

 ビールを二杯、レーに奢ってもらった。美味かった。二十過ぎとなり、そろそろサンタクルーズへ向けて帰りださねばならない。三人で地下鉄のモンゴメリー駅まで行き、女性は反対の方向へ帰るようでそこでお別れした。地下鉄に乗り、ミルブラエ駅で降りる。カルトレインへ乗り換えてサンノゼまで出なければならないが、次の便まで四十分ほど間があったので、これまたレーの提案で駅の周りを歩き回ることにする。ミルブラエを歩くのは初めてであった。ミルブラエには中華料理屋やタイ料理屋、ヴェトナム料理屋やマッサージ店が立ち並びアジア系の人々が沢山暮らす街のようだった。レーが通行人に煙草をせびり、首尾よく煙草を一本もらうも、ライターがないというので、セブンイレブンに入った。レーはそこでライターとサンドイッチを買った。

 カルトレインに乗る。サンノゼまでの一時間あまりの間、ひたすらヨーロッパについて話した。サンノゼのディリドン駅に着いた。バスに乗り換えてサンタクルーズへ帰った。ついに帰宅したの零時半ごろだっただろうか。散文的でありながらも確実に現在の世界のあり方に触れた一日だった。
 

2014年12月28日日曜日

映画"Neighbors": 地価と界隈の物語

 この二〇一四年の暮れ、セス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグ監督の映画「インタヴュー」が話題をさらっている。「インタヴュー」をめぐる一連の狂騒はさておくとして、ここでは今年ローゲンが送り出した別の映画について視点を提供したい。日本未公開の映画「ネイバーズ」である。一応、DVDでは字幕つきで観られるようだ。「ネイバーズ」は二〇一四年の五月に公開され、六月には町山智浩がTBSラジオのたまぶくろのコラムにてその内容とサンタ・バーバラで発生した銃乱射事件に絡んだ批判を合わせて紹介した。筆者が観たのも六月であった。

 この映画の脚本、設定、ギャグの数々はきわめてアメリカ社会の文脈に依存しており、これが外国で受けるのは困難だと思われる。解説が必要なコメディというのは売り出しにくいだろう。しかし、解説が必要であればこそ内容を読み解くことによってその文脈を理解するきっかけとなりえる。この映画を理解するには、アメリカの大学における友愛会やその伝統を知らねばにらないし、昨今のアメリカ社会における大学内での性暴力への議論も踏まえておいた方がいいだろう。ところで、この映画にはアメリカ人には明らかな主題が背景にある。アメリカ人の不動産への関心である。

  この話はセス・ローゲンとドラマ「ダメージ」などでおなじみのローズ・バーン演じる乳飲み子を連れた若い夫婦が瀟洒な住宅地に引っ越して来るところから始まる。その住宅地の場所ははっきりとわからないが、大学のある東西いずれかの海岸部の都市なのだろう。マサチューセッツ州の大学街かも知れないし、オレゴン州ポートランドあたりをにらんでいいかも知れない。実際の撮影はもっぱらロサンゼルスで行われたようだ。さて、その夫婦は映画の冒頭で、そのあとの落差を際立たせるためか、大げさにその界隈の素晴らしさをたたえつつ、これから始まる生活への希望をうたうのだ。その際、界隈の価値を表す存在として主人公夫婦が近所に住んでいるゲイカップルをみてはその土地のリベラルさを喜ぶのだ。

 この映画では以降、そのゲイカップルは登場しないが、社会的文脈を知らないとその意味を見落としてしまうだろう。ゲイが、特にゲイカップルが住んでいる土地は地価が高くなるのである。あるいは少なくとも地価の指標になる。ゲイカップルが暮らしているということはそこは安全であり、リベラルであり、つまり住民の学歴や収入が高いということを暗に示している。しかも、ゲイカップルは異人種カップルでもある。都市経済学者のリチャード・フロリダはある都市の創造性へのものさしとして、ゲイ指数、ボヘミアン指数、メルティングポット指数を採用しているが、この映画の冒頭部はそうしたフロリダ的議論を踏まえているのだ。

 この映画には中盤にもうひとつ夫婦の地価への関心を示すシーンが登場する。隣の友愛会の毎夜続くどんちゃん騒ぎに耐えかねた夫婦がその家の売却を検討し、リサ・クドロー演ずる不動産仲介業者に相談するのだ。すると、夫婦は仲介業者から友愛会が引っ越したため、その界隈、つまり家の価値が下がってしまったこと知り、そこから夫婦がついに友愛会への反撃を決意
するのである。この流れをみると、この夫婦の反撃への動機が、単なる友愛会がもたらす騒音や子供への悪影響というよりも(それも勿論あるのだが)というよりも、地価の下落の阻止という長期的な見通しに立ったものだとわかる。

 実はこの映画はアメリカの中流階級の地価への関心に基づき、題名の「ネイバーズ」というのはお隣さんやご近所というより、土地の単位としての界隈という意味に取れるのである。

2014年11月23日日曜日

"The Marriage Act: The Risk I Took to Keep My Best Friend in America, and What It Taught Us About Love"

 今回は友人が二〇一四年の二月に出版した自身のある経験を語るノンフィクション「結婚という行動 アメリカで親友を守るために冒した危険とそれが愛について教えてくれたこと」を紹介する。著者のライザ・モンロイはシアトル出身で、ニューヨークにあるリベラルアーツカレッジを卒業後、しばらく勤めたのちにコロンビア大学などで論文指導の職などを経て現在はカリフォルニア大学サンタクルーズ校で創作の指導をしている作家だ。モンロイと筆者はカポエイラの道場で知り合った。何度か自宅のパーティに招いてもらったこともある。

 この本は二〇〇二年ごろから数年に渡って、モンロイが友人のエミル(仮名)との偽装結婚の経緯を書いたものである。ところで、序文によればこの本の出版には連邦問題としての同性婚を提起するという明確な意図があるとか。エミルは中東の某国、この言い方に従えば「エミリスタン」出身のゲイ男性。エミルが国に帰ると処刑の危険性もあるため、アメリカにおける市民権確保のため二人が偽装結婚することになる。ただし、この読みどころは偽装結婚やこの二人の関係をさておいて、むしろモンロイ自身の性格や内面、恋愛遍歴などであろう。そこは「セックス・アンド・ザ・シティ」を彷彿とさせる。モンロイは当時恋人がいながらにして、エミルとの友情を優先し偽装結婚に踏み切ったことや、またロサンゼルスの芸能事務所に事務職として勤めていた際、職場の同僚だった気になる男がかつて高級古書専門の泥棒だったことなど発見するくだりなど、事実は小説より奇なりとつくづく感じさせてくれる。この本の最後では、エミルがなんとグリーンカードを抽選で当てたことにより、結婚の必要性がなくなり、めでたく離婚へ至り、その後に二人ともあるべき伴侶を得るというところで話は幕となる。

 事実でありながら現代アメリカの政治的おとぎ話といった趣きの話であった。映画にするなら主演はエレン・ペイジあたりがいいと思う。

2014年8月15日金曜日

 "The Triple Package: How Three Unlikely Traits Explain the Rise and Fall of Cultural Groups in America" 

今年の二月初めに出版されたエイミー・チュアとジェド・ルーベンフェルドの夫妻による共著「トリプル・パッケージ」はまたもや物議をかもすことになった。エイミー・チュアとは二〇一一年に自身の子育ての経験を語った回想録「タイガー・マザー」で一躍話題をさらった法学者である。著者夫妻は先立って一月にこの本の内容を要約した記事をニューヨーク・タイムズに寄稿している。また、四月にマサチューセッツ州アマーストでひらかれたTEDではこの二人が本の内容を語った。YoutTubeにはこれ以外にも二人がこの本について語っている映像がいくつもある。この本はその内容から人種差別的と反発もまねいたようだが、実際に読んでみるとことさら扇情的なことは語られておらず、成功するには自信と努力と我慢が大切だという凡庸な啓発を説いているに過ぎなかった。ただ、この本はアメリカ合衆国で現在進行中の人口動態の変化と流通している偏見(否定的なものと肯定的なもの双方)を知るにはいいと思う。つまり議論をひろげていく叩き台には向いているかもしれない。いずれにせよプロテスタントの白人が主流だったアメリカがもうすでに終わっていることを思い知ることができる本だ。それに「タイム」誌二月三日号にはインド系のジャーナリスト、スケトゥ・メータによる反論記事が掲載された

 著者はまずアメリカにあって、何故ある特定の社会集団が経済的、社会的、または文化的に成功するのかと問題提起をおこなう。そして、現在のアメリカで成功している代表的な社会集団として以下の八つの集団を例に挙げる。
 
 モルモン教徒。キューバ系。インド系。中国系(日本語ではむしろ華僑というべきか)。ユダヤ系。ナイジェリア系。イラン系(実はイラン系は民族的、文化的に多彩でありペルシア人ばかりでなくクルド人などもふくむ)。そしてレバノン系。

 ところで著者らは以上の集団をしめすのに民族でも人種でもなく社会集団という言葉を終始使っている。以上の集団は人種とも民族とも言い難いからである。モルモン教徒やユダヤ人を規定するのは宗教とその歴史的背景であり、イラン系や、インド系、ナイジェリア系も民族的、文化的に多様。社会集団という語を使うのが妥当だろう。また、この八つの社会集団は三つの条件を論じるためのあくまで例えであって、この本では議論の俎上に載せなかった成功している社会集団として日系とギリシア系が挙げられている。

 そして、これらの社会集団が共通して成功するための三つの条件を備えていると説く。この三つの条件こそが「トリプル・パッケージ」というタイトルの意味なのだ。以下がその三つの条件である。

①優越感。 Superiority Complex

 著者はまず社会集団にはときに他の集団と区別する優越感があるという事実に注目する。そしてその根拠として機能する各集団の歴史的背景を解説する。しかし、イラン系やレバノン系の歴史的優越意識の根拠を古代のペルシア帝国やフェニキア人の活躍に求めるのはいかがなものか。言いたいことはわかるが、この論述はどこまで実態に根ざしているのだろうか。

②不安感(あるいは困難または迫害ともすべきか)。 Insecurity
 
 ①と対になり、成功する社会集団はしばしば不安感がある、または不安定な存在なのだという。それへの解説は①を語るときよりも具体的である。ユダヤ人の苦難の歴史はいまさら述べるまでもなく、他の社会集団もそれぞれ偏見にさらされている。その不安感こそが努力へ駆り立てるのだという。

③情動の抑制(または我慢といってもいいかもしれない)。 Impulse Control

 成功へと導く努力を実践するためには情動の抑制が必要である。これには宗教的または文化的実践などが基礎となる。まさにマックス・ウェーバーが「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」で論じたとおりである。

 八章からなるこの本では始めの二つの章で以上の主題が要約して語られ、続く三つの章でそれぞれ三つの条件と社会集団を解説していく。第六章では神経症や鬱など三つの条件の暗黒面について触れている。最後の二つの章はアメリカ社会全体についての歴史とその未来についてそれまでの議論を踏まえつつ語り結論へといたる―いずれ三つの条件が保障するアメリカにおける成功とは特定の社会集団に属するのではなく個人に帰すものとなるであろうと。ただし、最後の二章はちょっと蛇足のような気がする。

 総じて論述が雑な印象は否めないが、売れることを狙った一般向けの書籍としてはこんなものかというところである。

 また、アメリカ社会における社会集団ごとの教育への期待のちがいについてはたとえばエマニュエル・トッドの理論なども合わせて論じてみるといいかもしれない。
 

2014年8月7日木曜日

二〇一四年七月、サンフランシスコ観光記


 七月に友人がカリフォルニアに来たので、サンフランシスコ観光に付き合うことになった。友人の川又隆一は七月十七日は木曜日の深夜にサンタクルーズに到着。金曜日はサンタクルーズを散策し、土曜日から月曜日にかけてサンフランシスコを観光。土曜日はサンフランシスコに行く途中にサンノゼに寄り、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスに足を訪ねた。土曜日の夜、ホテルに着いた後、中華街とカストロに行った。訪ねた場所はそれぞれ、日曜日はグレース大聖堂アジア美術館リージョン・オブ・オナー美術館、その西の崖、そしてジャパンタウン。月曜日はヘイト・アシュベリーを通って、カリフォルニア科学院、しばらく公園を散歩したのちにダウンタウンに戻りそこで川又は空港へ向かいおひらきとなった。

 木曜日の深夜、川又が我が家に着き、話したいことがあるというので、二時間半ほど早稲田にある知る人ぞ知る社交場あかねで去年から今年にかけて起きたという不倫騒動について聞いた。ちなみに川又は一月までその日曜日担当のスタッフをしていたのだ。それというのはつまり、不倫の三角関係が騒動を引き起こし、あかねに来る奴らも色恋には疎いものだからみなうろたえてしまい無闇にことが大きくなったというくだらない話であった。それはそれとして折から経営維持が立ちいかなくなっていたあかねが、その騒動によってますます崩壊に導かれ、閉店はやむを得ず時間の問題とのこと。川又はその騒動にほとほと疲れ果て、いわばあかねからの卒業旅行のつもりで北カリフォルニアに来たらしい。

 土曜日の午後にバスでサンノゼに着き、タクシーに乗りウィンチェスター・ミステリー・ハウスに向かう。タクシーの運転手はシークの人であった。ウィンチェスター・ミステリー・ハウスでは我々は屋敷の内部をめぐるツアーに参加した。屋敷はウィンチェスター夫人が屋敷を増改築し続けた理由であるオカルト的ないわくを脇において面白かった。この屋敷は十九世紀末に最先端であった技術や趣味を無数に取り入れているのである。あとで川又が語ったところによれば、この屋敷は一種の要塞であり、それを築くメンタリティとはゴミ屋敷へのそれと同じものだという。

 ウィンチェスター・ミステリー・ハウスからバスでサンタクララ駅に行き、カルトレインに乗ることにした。サンタクララ駅では四十分ほど待ったが、駅に昔のアメリカの鉄道を模型などで再現した小さな

サンタクララ駅の鉄道博物館
博物館があり、そこにちょっと寄ったり、周りの景色を眺めて過ごした。

 一時間半ほどカルトレインに乗り、サンフランシスコの駅から歩いてホテルに到着。一息ついて中華街を散策し、夕食をとることにした。夕食のあとにカストロで遊ぶことにしたが、私から提案してフォーサム界隈も見ることする。しばらくフォーサム界隈を歩いていると、さすがに川又がカストロまでの道のりが遠いと気づいたらしく、タクシーに乗ることにした。カストロでも一通り歩いて回り、エッジというバーに落ち着いた。ゴーゴーボーイが二人もカウンターの上で踊っていた。しばらくして二軒目に行くことにする。あの有名なQバーである。Qバーで思いがけずに知り合いに遭遇した。その人もサンタクルーズから遊びに来ていたようだ。Qバーのダンスフロアに眼鏡をかけたギーク風な人も男女ともに目立つ。やはりシリコンヴァレーの労働者などであろうか。みな世界の終りを寿ぐかのように踊っている。ひとしきり踊り、一時ごろにホテルに帰った。

 翌日は日曜日。朝はグレース大聖堂に足を運ぶ。キース・へリングがエイズ撲滅を祈念して作ったという作品を観た。また、大聖堂の美術は総じて諸民族の和解と融和を主題としているようであった。なんとなくウォルト・ホイットマンの詩を思い出す。ところでグレース大聖堂の道をはさんだ向かいにはフリー・メイソンの支部があった。

 グレースの大聖堂を後にして市庁舎前のアジア美術館に行き、そこで二時間ほど過ごす。アジア美術館には仏像や神像も多数あったため、教会に続いて神社仏閣をめぐった気分である。アジア美術館の「ゴージャス」を主題とした企画展は安土桃山文化の華麗さを思わせた。森村泰昌の作品もおいてある。

 アジア美術館を出て、ダウンタウンで昼食をとり、そしてリージョン・オブ・オナー美術館へバスで向かう。古代や中世の美術は皆無ではないがあまりそろえられておらず、ルネサンス以降の作品をおもに集めた美術館のようだ。特に近世のフランドル絵画や近代フランスの美術に面白いものが多い。リージョン・オブ・オナーを美術館のもそろそろ閉まることになり、景色で知られているらしい西の崖へ向かった。そこのダイナーで一休みして、公園を降り、ジャパンタウンへ向かうことにする。ジャパンタウンを散策して夕食にする。ジャパンタウンではその日、Jポップの催しをひらいていたようだ。夕食後、歩いてホテルに帰った。途中にいくつも教会があったのが印象的だ。

 翌月曜日はゴールデンゲートパーク内にあるカリフォルニア科学院へ行った。途中にヘイト・アシュベリーを通って行くことにした。筆者としてはカフェにでも入って街の雰囲気を味わいたいくらいだったが、そこは川又がせわしない観光をにらんでいたためゴールデンゲートパークへ急ぐことになった。カリフォルニア科学院は縦横にひろがった三次元的な博物館であり、実に見ごたえがある。一九〇六年の大地震の体験アトラクションや、プラネタリウム、熱帯雨林を再現した温室、その地下に設えられた水族館などいつまでも飽きないほどである。昼食も取りつつ三時間ほど過ごし、ゴールデンゲートパークをしばらく散歩したのちにバスに乗る。ダウンタウンでおりて、バートの駅で川又を見送った。

2014年7月15日火曜日

同居人を得る速度

 先月、以前の同居人が引っ越すことになり、やや紆余曲折あって新しい人が七月二日からやって来た。カリフォルニア大学サンタクルーズ校で神経生物学を学んでいるという若い女性だ。ウクライナのポーランドにほど近い西部出身だそうで、高校生の時に母親とともにサンフランシスコに移り住んだそうだ。そのため毎晩のようにウクライナに関するを話を聞いている。

 元同居人から月末での引っ越しを告げられたのは六月十五日は日曜日の夕方。その日、早速クレイグズリストに同居人募集の広告を投稿。またたくまに何通もの問い合わせがあった。翌月曜日には五人、火曜日には三人が我が家にやって来て部屋を見るとともに説明を聞き、また水曜日にはユタ州に暮らしているが七月の上旬にサンタクルーズに引っ越す予定という男性とスカイプで話した。そして十九日は木曜日に一旦はその内の一人に同居人になって欲しい旨、連絡。その人は翌週まで街の外に出ているということだった。一週間待ち翌木曜日の二十六日に、引っ越しのための資金調達に失敗したとの連絡。

 仕方ないので、またクレイグズリストに投稿。金曜日に二人の人が来たがどちらも手ごたえがない。夜になり、翌週にサンタバーバラからサンタクルーズに来るという若い男性とスカイプで話し、またしても一旦はその人に決まった。そして、月曜日、その日来ることになっていたそいつがいつまでも来ない。確認するとどうも気が変わったらしい。まったく困った人もあるものだ。

 そして、すぐにクレイグズリストへ再投稿。翌日の火曜日に三人来る。その内の一人の女性がもっとも条件が合ったため夜に同居人になって欲しい旨を電話。それがいまの同居人である。

翌日は水曜日にその女性は早速引っ越しに来た。サンフランシスコから両親が引っ越し手伝いに来て一緒だった。その時、同居人がお母さまとロシア語やポーランド語のようではあるが、どうもどちらでもないスラブ系言語を話していたのでどちらの出身か訊くとウクライナということであった。

とにかくこの時代、このベイエリア(広い意味で)では同居人を得ること自体は難しくはない。

2014年6月12日木曜日

映画"Systemfehler – Wenn Inge tanzt"

今年の一月下旬、日本からカリフォルニアに帰る飛行機の中で"Systemfehler – Wenn Inge tanzt" 「ジシュテムフェーラー インゲが踊るとき」という二〇一三年公開のドイツ映画を観た。

 あらすじ。ギムナジウムに通うマックスはヨスカ、ファビオ、ルーカスという三人の友達とともにパンクバンド「ジシュテムフューラー」を結成している。ところが、そのバンドが発表した「インゲが踊るとき」というマックスが恋心を寄せているインゲを歌った歌を発表したところ、当のインゲが立腹してしまう。そこからいくつも騒動が発生して、終盤では晴れ舞台となるライヴにたどり着けるかが見せどころとなるというも、まあわかりやすいギムナジウム青春絵巻である。

 ただし、むしろこの話のすじと設定の凡庸性こそが印象深かった。それというのも、筆者は現代ドイツの若者文化や十代の生活を描いた文芸にあまり触れたことがなかったからだ。この映画を観ると、ギムナジウムに通うドイツの十代の生活もBBCのドラマ「スキンズ」などで描かかれるような英国のカレッジ(英国においては高校という意味である)に通う十代のそれとあまり変わらないようだ。この映画では十代の若者の恋愛や音楽、また大麻やエクスタシーなどが実におおらかに肯定的に語られる。特にバンドの一員でドラム担当のルーカスがエクスタシーの脱ぎ上戸というか、エクスタシーを食ったら脱ぎたくなる体質という設定は色気を振りまきつつもコミカルな場面をなしていた。バンドの男四人アイドル然とした様は英国のボーイバンドマクフライをも思わせる。また、終盤にはバンドの四人にインゲをくわえて五人とバンドが東映の戦隊ものと同じ構成になる。この五人とも美形であって、これらの若者のやり取りを観ているだけでも眼福というものだ。

 こうした現代ドイツの生活振りを伝えるような娯楽映画がもっと現れてドイツのイメージを更新してくれればいいと思った。

2013年11月30日土曜日

生殖の未来: ナイナ・パテル博士のアクシャンカ不妊治療院

   インドはグジャラート州にアクシャンカ不妊治療院という代理出産で世界的に名高い医院がある。ここはナイナ・パテル博士という医師によって建てられたところで、パテル博士はこれまで二十年以上に渡って代理出産技術によって不妊カップルの子作りに協力して来たそうだ。先日、BBCによってこの代理母に取材したドキュメンタリーが作られたとのことで、記事にもなった。そして、BBCのみならずそれを受けたナショナル・ポストなどのいくつかのメディアがこの医院や代理出産を取り上げた記事を掲載。日本語でもこの医院を赤ん坊工場という批判の意見とともに紹介する記事がいくつかあった。この医院の顧客はおもに西洋人、だそうだが、日本にも仲介事務所が存在する。つまり、先進国の顧客に向けているのだろう。
 BBCの記事によると、出産が成功した場合の代金は二万八千ドルとのこと。新車を買う程度代金で代理母というサービスを利用できるのだ。生殖産業の大衆化がここに実現しているのである。

 また、今月にはBBCのインタヴュー番組にパテル博士が出演し、司会者のスティーブン・サッカーからなかなか手厳しい追及を受けていた。

 議論の対象はいくつかある。まず、代理出産という技術、そして産業自体がいまだに論争の対象であることはさておき、この医院は労働者、つまり代理母であるインド人女性らを搾取しているのではないかとという根深い疑惑があるのである。パテル博士は勿論それを否定する。代理母らには十分な報酬を支払っているというのだ。いや、搾取どころか地元の女性を経済的に支援する活動でもあると説明するのだ。そうかしも知れない。そもそも、それが搾取だとしても、われわれの生活をささえる中国の女工がおかれた境遇りもはるかに快適な環境が代理母らに保障されていることは間違いないのではないだろうか。すなわち、これを搾取だとして非難するのははなはだとんでもない欺瞞である。なるほど、これは搾取かも知れない。しかし、そうだとしたらiPhoneもGAPの服もナイキ製品もみな資本主義という構造的暴力の産物である。そうした暴力にもとづいた文明を享受しておいてこれを批判するのはいちじるしい欺瞞であり、また傲慢だろう。

 顧客はついに子供を手に入れることができる。そして労働者ら、つまり代理母(みなすでに自分の子供がいる母だそうだ)は十分な報酬を手にし、その報酬をみずからの子供への教育へと投資することができる。それのなにが悪いのだろうか。
                                                   
 ところで顧客の属する国よっては赤ん坊にまつわる法的な問題も発生する。特にドイツや日本などの血統主義を取っている国において、代理母の産んだ子供は法的に曖昧な状況に追い込まれ、入国などで問題が発生してしまうらしい。それも国民国家における、家族や子供という概念の定義が現状に即していないのである。いや、それどころか代理母を始めとする生殖産業はまさに国境を越えて国籍をもたないゆえに、国民国家の自明性をゆるがすのだ。それもこれも近代に発生した国民国家という機構が資本と産業構造の要請に応じて生成し組織されたものだからに他ならない。

 代理母という仕事は売春にもたとえられる。つまり、どちらも女のからだの機能をつかい、貧困などの経済的必要性が強いた結果だというわけだ。そうかも知れない。一方で女が自分のからだをいかにつかうか自分で決める自由を禁じていいわけではないだろう。

 資本主義は人間の活動または生活を細分化し、世界全体を巻き込みつつ分業へと向ける意志である。その力はあらゆる人間生活におよぶ。少なくとも生殖産業は今後も発展する一方であり、それが退行すること決してないだろう。ナイナ・パテル博士の事業は歴史の方向を照らしているのだ。



2013年10月26日土曜日

映画「ゼロ・グラビティ」 新しい産業形態のもとの映画

十月二十日、映画「ゼロ・グラビティ」3D版を観て来た。これはメキシコの青春映画「天国の口、終りの楽園。」などで知られるアルフォンソ・キュアロンの異色の新作である。


 複雑な筋はなく、登場人物もただ二人。宇宙ステーションで事故が発生。サンドラ・ブロック演ずるライアン・ストーン医師とジョージ・クルーニー演ずるマット・コワルスキ隊員の二人の宇宙飛行士のみが生き残り、途中でコワルスキの自己犠牲にも支えられてストーンが地球への生還を果たすというそれだけの話である。やはり、見どころはその圧巻の3D映像。それというのも、全編が無重力の宇宙空間を舞台としており、映画に終始浮遊感が漂っている。さらにところどころでもの飛び散る描写があり、破片などが客席に飛び込んでくるのだ。「アヴァター」冒頭の無重力表現とか、パルクールを彷彿とするアクション描写を全面に押し出したような映画。観るエクストリームスポーツとでも呼べる作品である。ちなみに最後、ストーンは最後、中国の無人宇宙ステーションにたどり着き、それを使って地上への帰還を果たす。このごろの中国の宇宙開発という現実はあるにせよ、多分に中国市場を意識しているのだろう。

 似た作品にダニー・ボイル監督でジェームズ・フランコ主演の「127時間」がある。双方とも絶望的状況からの脱出を丹念に描いた映画であり、またエクストリーム・スポーツのような意識への働きかけを行う。おそらく、今後ますますこのように特に複雑な筋はない観るエクストリームスポーツのような作品は増える一方ではないだろうか。筆者は勝敗がなく、ただ意識の快楽を得るためのエクストリーム・スポーツの昨今の隆盛が現代の産業形態と内的な関係を持っているのではないかと直観している。そうするとエクストリームスポーツ的な映画もまたそうした背景に根ざしていることになろう。つまり、こうした映画こそがアルビン・トフラーのいう第三の波のもとにおける芸術の形式のひとつであり、産業に担い手であるジャック・アタリいうところのノマドの意識を反映をしているのだ。


 ところで町山智浩は十月二十二日のTBSラジオ「たまむすび」のコラムにて、別の生存帰還もの映画「キャプテン・フィリップス」を語る際に、その前週に紹介した「ゼロ・グラビティ」にも言及し、こうした生存のための苦闘を描く映画が人気となる理由として、昨今の合衆国におけるますます進む生活苦を挙げていた。
 いずれにせよ、世情を反映した映画というのは間違いないと思う。

2013年10月20日日曜日

フォーサムストリート祭

 九月二十九日は日曜日、サンフランシスコはフォーサムストリートでひらかれたフォーサムストリート祭に行って来た。フォーサムストリートは革やゴム、緊縛などの愛好家らが集まる通りであり、そうした人々に向けたバーやクラブ、洋品店やハッテン場などでにぎわっている。サンフランシスコのゲイストリートというとカストロであるが、玄人向けのフォーサムは一般向けのカストロとは一線を画す。フォーサムストリート祭はそこでひらかれる年に一度の祭典である。

 前日、二十八は土曜日にサンフランシスコ入り。夕方の十七過ぎから十九時ごろにかけて、会場のフォーサムストリートを歩いてみた。実は筆者は二〇〇九年の十一月にサンフランシスコに滞在した際も、ホストの案内でここに来たことがある。土曜の夕方であっても静かなものだ。ところがフォーサムストリートと交差する九番通りと十番通りの間の区画のあたりにて、Tシャツに短パンという格好の二人連れの男とすれ違った。その内の一人が俳優のラッセル・トーヴィーだと気付いたのはまさにすれ違いざまであった。思いがけぬ遭遇にしばし呆然となってしまった。トーヴィーはジョナサン・グロフ主演の新しいドラマの撮影のためにサンフランシスコに滞在しているらしい。

 翌日、一時過ぎに会場へと到着。今回はバークレーから地下鉄で最寄の駅である市庁舎駅までむかったのだが、目的駅が近づくにつれ、列車の中にみるからにそれらしい人が増えてくる。これも祭の盛り上がりを明かす道具立てのひとつというものだろう。

 会場への入場は寄付制であり、今回は最低十ドルから。ただし、寄付なので払わなくてもいいのかも知れない。会場となっている区画へ入るやそこは街角に出現した変態の遊園地。遊園地とあっては見世物あり、体験ブースあり、マスコットキャラありの素晴らしいにぎわい。とりあえず、前に進むと、道に組まれた舞台にてキンク・ドット・コムというエロサイトによるSMショーを演っていた。その模様などはこの記事で写真をを見られる。やはり、縛りといい、女王の責めといい、奴隷の耐えてあえぐ姿といい、一々堂々としていて見事なものだ。そして背中を打つバラ鞭や乳首を責める電流の出る棒などで奴隷を痛めつける女王様方の手つきにはどこか愛と思いやりを感じられる。

 また、その舞台の裏には南方カリフォルニア緊縛(So Cal Shibari)という縄師の集団よる縛りの体験コーナーもあった。その中には紫の鬘を被りセーラー服を着た日本人と思しき若い女の縄師もいた。こうした人にはますます活躍して欲しいものだ。ちなみに日本語の縛りという語そのまま英語には"Shibari"として定着している。

 会場内には他にも尻叩きの体験ブースや、変わりどころではお馬さんプレイや犬プレイの展示ブースが並ぶ。さらにはSMなど特に関係なく財布やベルトなどの革製品を売っているブースもある。みな、見ているだけで楽しいものである。音楽の舞台ではゲストの一組としてハーキュリーズ・アンド・ラブ・アフェアが来ていたのでしばし聴き行った。

 七時ごろいよいよおひらきとなり、会場が撤収していく。そのさなか、会場の一角に位置し、二〇〇九年に筆者も一度来たことがある緊縛をコンセプトとしたカフェ、ウィッキド・グラウンズを訪ねてみた。そこもあえなく閉まるところだったが、二〇〇九年に会った店員がいたので挨拶してみた。また折に触れ訪ねてみたい気持ちのよい感じ店だ。

 会場をあとにし、バスの時間までマーチャント通りのコーヒー・アンド・ビーンズでしばし休むことにした。すると、店の中には恋人か夫同士と思しい革ズボンをまとった三十代くらいの男二人がいる。間違いなく祭から帰って休んでいるところなのだろう。そうした光景を目にするとつくづく祭の余韻を感じたものであった。

 ところでこのフォーサムストリート祭はいまだ日本語での情報に乏しいらしく、ブログ記事などもこの記事くらい見つけられなかった。せっかく日本が世界に誇る縛りの文化を紹介する場所でもあることだし、これからどんどん日本でも知られて欲しいものである。
 
 



 

2013年8月26日月曜日

チャールズ・アイゼンシュタインによる贈与経済についての講演会

 八月二十四日、チャールズ・アイゼンシュタインという思想家による近くの美術館を会場としてひらかれた講演会に行って来た。

 贈与経済という思想は先日も紹介したバーニングマンの原則のひとつであり、また昨今ではSF作家でシリコンヴァレーとも縁のふかい評論家のコリイ・ドクトロウなんかが盛んに提唱している。ドクトロウの場合は無料経済という言葉を使っているが。つまり六十年代に端を発するカリフォルニア的思想の一環なわけだ。
 
 このチャールズ・アイゼンシュタインという人は若いころに台湾へ渡り、翻訳家として活動していたこともあるということで、東洋思想からも影響を受け、ヨーガに関する著書もあるようである。いかにもニューエイジの流れに位置づけられる思想家のようだ。二〇一一年に「聖なる経済」という贈与経済に関する本を出している。探してみれば、日本語でも有志がオンラインで翻訳を公開していた

 今回の講演会はおもに二部にわかれ、前半はアイゼンシュタインが登壇して贈与経済の概要などを語り、後半ではサンタクルーズの地元の非営利団体の活動家らが登場してそれぞれの活動などを説明するという内容。それら参加していた非営利団体は、まず地域を考えよう時間銀行キャンプヒル共同体カリフォルニアなど。 キャンプヒルとは障害者と共に生きるための共同体を立ち上げる活動体だそうだ。その代表者の人はルドルフ・シュタイナーから影響を受けているらしく、直接人智学的な用語は使わないまでも、言葉の端々にその様子がうかがえるのが面白かった。会場は満杯に近く、聴衆は百人以上つどっていたであろうか。

 ただ、やはり贈与経済のあり方について楽天的過ぎる嫌いがあるのが否めない。アイゼンシュタインは講演で「贈与経済は人々をつなげ、貨幣経済は人々を遠く切り離す」と語っていたが、それこそが貨幣経済の魅力であり強さではないのか。エンゲルスが貨幣を農村共同体を溶かす酸になぞらえていたことを思い出す。

 後半では聴衆からいくつもの質問が飛び交い、そのひとつに贈与経済下における芸術の収益という実に現在的な問題があった。つまり、貨幣を否定したら芸術に収益が出ず、その発展が阻まれるのではないか。「ミケランジェロはどうやってシスティナ礼拝堂に絵を描くか」がその時に質問者がしめした例えである。アイゼンシュタインはそれに対し、自分は貨幣経済を全面的に否定するものはではないと語りつつ、今後の芸術への集団財源庇護( Cloud source patronage)の可能性に言及した。クラウドファンディングとも呼ばれる形を想定しているのか。月並みではあるが、妥当なところだろう。

 ところで筆者もいわゆる貨幣経済に代わる、非貨幣経済がますます台頭してくるとは思うが、そうなるのも資本主義の妙なる適応と弁証法的な変わり身の結果だろう。
 


 

2013年7月29日月曜日

映画"Spark: A Burning Man Story"

上映会がひらかれた劇場にあった展示物。

 七月十日に映画「スパーク: あるバーニングマンの物語」(邦題仮)の上映会に行って来た。この映画はネヴァダ州の砂漠で毎年ひらかれているあの有名なバーニングマンフェスティバルの歴史や二〇一二年のバーニングマンの参加者ら数組を追ったドキュメンタリーだ。八十年代にサンフランシスコの浜でやっていた小規模なお祭がやがてネヴァダのブラックロック砂漠へ移り、現在のような巨大なものになる過程を当時の映像や写真をまじえながら創設者らのインタヴューで語っていく前半と、二〇一二年の参加者である芸術家らの出展作品の制作を追いつつ、バーニングマンの開催の様子を記録した後半に分かれている。ちなみに東京都下出身の若者に声をかけて、一緒に一緒に観に行くことになった。

 まず、バーニングマンの運営スタッフらがいかにも真面目そうな人々であったのが印象的だった。たしかにあれほどの規模の祭をひらくには厳正と能力が必要だろう。あと、ここは強調しておきたいが、運営スタッフには女が多い。その半数以上が女性という印象だ。
 九十年代の初期バーニングマンの映像もふんだんに使われていて、それも面白かった。特に九六年の回で発生したという騒乱の様子が印象深い。その事件はのちの運営のあり方にも影を落としているようだ。
 
 参加者のなかでも、ウォール街を燃やせ、というプロジェクトを実行したオークランド在住の芸術家オットー・ヴォン・デンジャーとその工房の面子はコミカルな魅力をはなっていた。このプロジェクトはバーニングマンに悪の象徴としてのウォール街を模したハリボテを展示し、最終的に燃やすといういかにもな作品であり、ウォール街占拠の運動のながれを受けたものらしい。全編にわたってバーニングマンの素晴らしさを紹介してはいるが、しかしバーニングマン関係の映像の見るたびにその参加者が白人ばかりだというのが目につく。それについては課題とすべきではないか。

 また、上映後には監督への質疑応答の時間と、上映会の来場者らの衣装を競うコンテストも設けられていた。ところでこの映画は八月からTunesなどで配信を開始。十月にはDVDも出るとのこと。



 帰りがけ、同行した若者から「あれがヒッピーってやつですか」と訊かれた。ヒッピー文化のながれは受けているが、九〇年代のレイヴカルチャーを経由しているのではないかと答えた。そもそも、六〇年代的ヒッピーカルチャーと九〇年代の連続性も気になるところではある。バーニングマンの創設者らや最初期の参加者には、それこそ確実にウッドストック音楽祭の経験者もいるとおもうのだが。そこに六〇年代のベイエリア的ヒッピーカルチャーとシリコンヴァレー的IT産業をの文化的、歴史的連続性をみいだす鍵もあるのではないか。

2013年7月25日木曜日

二〇一三年サンフランシスコ・プライド 

 六月三十日、サンフランシスコ・プライドを観に行った。去年は金曜日からサンフランシスコに滞在したが、今年はあえなく日曜日のみ。それでも面白かった。今年のプライドはブラッドリー・マニングの写真がいたるところにあったのが印象的だった。聞くところによると、今年のプライドではマニングを名誉参加者として推す声があったが、運営側がそれを拒絶し、その運営の判断に反発した無数の参加者らがあえてマニングへの連帯を積極的に表した結果、マニングのイメージがあふれ返ることとなったようだ。
 

 
  サンフランシスコには十時過ぎにグレイハウンドにて到着。バスターミナルのすぐ隣がパレードの詰め所となっており、出場を待つ人々の間を通って、ダウンタウンの目抜き通りであるマーチャント通りへとわたる。するとすでに人でごった返しており、また有名人の隊列が通りを練っていた。まず印象に残ったのはカリフォルニア州選出の下院議員でサンフランシスコともゆかりの深いナンシー・ペロシの隊列である。あと、有名人の隊列ではシャイアン・ジャクソンが気になっていたので、近くでみられてよかった。ジャクソンは想像していた通りのキャップにTシャツというラフな格好であった。
 
今回も去年に続きフェイスブックとグーグルが大きな隊列を出していたが、今回はフェイスブックに社長のマーク・ザッカーバーグが参加していた。去年はグーグルの方が目立っていた気がするが、すると来年はセルゲイ・ブリンが現れることもあり得るのではないか。また、他にもマイクロソフトやインテル、ジンガなど有名どころのIT企業は軒並み参加していたと考えてよい。

 
各教会など宗教者の隊列や、企業や地域や各人種や民族、また警官や保安官や軍人などなどの公務員、大学や高校などの学校から参加している団体などどれも見どころある。ソフィア大学というパロアルトにある大学の隊列にはその学生とおぼしき男の子二人が全裸で参加していた。サンフランシスコらしい光景である。今回はおぼえている限り、全裸の参加者はその二人もふくめ、三組、計五名いた。





 やっと終盤にさし掛かったところでフリーブラッドリーマニングの隊列。グーグルなどがそれに続き、しばらくしてからパレード自体はお開きとなった。今年のパレードはとにかく時間が長く、結局パレードが一通り終わった時には四時ごろになっていた。明らかに去年よりも長い。これよりパレードが膨張したら今後、どうなっていくのだろうか。
 
 
 通りをあとにして市庁舎前のイベント会場へと歩く。市庁舎前のありさまはまさに祭。老若男女がつどって踊るものあれば、語り合うものもある。トヨタが出しているDJブースではアーミン・ファン・ビューレンなどの単なる露骨なトランスをかけており、楽しげでまことに結構。それが去年となんら変わらないので、その空間ははたして去年から引き続いているのではないかと錯覚におちいるほどであった。

 十九時ごろ、会場もいよいよお開きとなってみなは家を目指し、片付けも始まる。ダウンタウンのアップルストアにちょっと寄ってからバスターミナルに向かい、道すがらブラッドリー・マニングのステッカーを横断歩道のボタンに発見。その日、会場にマニングがいなかったということが、とんでもない間違いであり、不条理であるような気がした。

2013年7月15日月曜日

グーグル見物記

 六月二十一日は金曜日、ある社員の方が招いてくれたためグーグルに見物に行った。そのグーグルの社員の人とは去年の感謝祭に友人の下宿先でひらかれた食事会ではじめて会い、そして六月八日にひらかれた食事会にも来ていたために友人ともどもマウンテンビューにあるグーグルへ招待したもらったのだ。ところでそのグーグル社員のおばさんというのが波乱万丈の経歴の持ち主。朝鮮戦争後に北朝鮮で生まれ、幼いころ家族ともども脱北を試みるも結局、その人しか果たせず、韓国にて、ある家の養子となり、成長してアメリカに渡り大学を卒業して働き、いろいろあって現在グーグルで会計監査をやっているという人物。一種の超人である。
 
 グーグルへは友人二人とともに計三人で訪ねた。朝の九時過ぎに筆者の暮らすサンタクルーズから友人の運転する車に乗せてもらい、一路マウンテンビューへ。グーグルへは十一時に到着。

 しばらく待ち、その社員の方に来てもらって、受付の端末で入館証を発行。受付の前にはロッククライミング用の壁があるのが印象的であった。そして、メインキャンパスへ移動。グーグル本社は大学のようであるためか、キャンパスとも呼ばれる。滞在時間は三時間半くらい。結局、食堂と庭しか見て回れなかったが、やはりそれなり面白かった。

 グーグルにはいくつも食堂があるらしい。それらはみな無料である。訪問者もあらゆるものを無料で受け取ることができる。また、館内には生活に必要なあらゆる設備がそろっているらしく、休日にも洗濯のために会社に来る社員もいるとか。
 われわれは大きな食堂に入った。食堂は新しい清潔な印象を与え、大学のそれを思わせる。また、社員にかぎらず訪問者や観光客と思しき人びとも多い。社員はあらゆる人種がおり、特にインド系と中国系と思しき人が目立つ。食堂には、ピザやインド料理や、ヴェトナム料理、中華料理に和食、メキシコ料理にヨーロッパ風の料理、サラダバーやいくつものデザートがあり、野菜中心である。おそらくはさまざまな文化に配慮した結果野菜中心となるのではないか。また、ヴェジタリアンやヴィーガンも多いのだろう。そして、繰り返すがこれらの料理はどれも一切が無料なのである。

 食後を庭を散歩。庭にはところどころに彫刻などの美術品がおいてあり、スポーツの設備があって社員らがバレーボールやサッカーなどの球技に興じている。その日は庭で大規模な昼食会がひらかれていて、テントの下におかれた卓と椅子にて列席者が語らっていた。
 また、われわれは直接みることはなかったが、その庭に隣り合う建物の中にはジムがあり、プールもあるとか。

 しばらく庭を散策して、サンドイッチ屋にむかう。そこでサンドイッチを二つもらい、これを土産とした。そして、土産物屋へ案内されたところで、社員の人は仕事に戻らねばならないということで、お別れする。その後、土産物屋をみて、帰宅の途につく。現代のテレームの僧院を目の当たりにした見物であった。

 

2013年7月10日水曜日

映画 "The Internship "






 六月の第三月曜日、ショーン・レヴィ監督、ヴィンス・ヴォーン脚本主演の映画「インターンシップ」(邦題仮)を観て来た。それというのもその週の金曜日にあるグーグルの社員の人からマウンテンビューにあるグーグルの本社への見学に招待されたので、事前に予習と復習をしておこうと思ったのだ。グーグル見学については後述。

 映画はグーグルを舞台としたコメディならばこんなものかという感じ。ブロマンスの要素もあった。あらすじ。セールスマンをしていた中年男二人が情報革命の影響によって仕事を失う。そこで、恐れ知らずにもグーグルの面接に申し込んでみると、なんと研修への許可が出る。そしてグーグルという不思議な未知の世界にとびこむというお話。ちなみにその主人公のもう一人の方はオーウェン・ウィルソンだったりする。

 新しい技術によって職を失った中年男がいまや古びた価値観や能力を生かして新時代に活躍するという筋をみるとショーン・レヴィの前作「リアル・スティール」をも彷彿とする。また、映画のつくりは相当に古典的なハリウッド映画の型を踏まえている。要するに単純明快。しかし、グーグルという月並みならざる題材を扱うにあたってはこんな単純さが必要だったのかと。つまり、この映画で重要なのは主人公の境遇や話の内容ではなく、あくまでグーグルや、それをはじめとするシリコンヴァレーの文化なのだ。


 グーグルやシリコンヴァレーに関心にあるの人なら観ておいて損はないと思う。


 

2013年4月21日日曜日

産業の推移①

 ごく基本的な話をたしかめたい。 

 十八世紀末にイギリスで始まった産業革命は西ヨーロッパの各国を巻き込み、十九世紀にはアメリカ合衆国や日本にも到達した。この産業革命の時代にわれわれの社会の制度、生活様式、意識のあり方などが確立したのであった。未来学の泰斗アルビン・トフラーのいう、先史時代における農業の発生という〈第一の波〉に続く、これが〈第二波〉である。大英帝国をはじめとする工業国では工場を整備して飛躍的に生産性が高まった。また、おもに非西欧の植民地は産業のために資源を提供することになった。近代産業とそれがよって立つ資本主義が必然的に帝国主義をまねく所以である。
 この前近代的社会から近代社会への移行はあらゆる階級を通じて人々の意識や生活に多大な苦悩をもたらし、また世代間の断絶をひらく。これによって芸術がうまれる。近代文学の誕生である。例えば、産業後進国であったロシアはこうした近代化移行期の危機をすばらしく表現した普遍的な文学を生みだした。これがロシア文学である。ひとつ例を挙げると、チェーホフの戯曲「桜の園」は不動産の推移とある階級の解体と別の階級の勃興をめぐる物語である。
 
 現在では、ご存じの通り、世界の産業の中心地は中国である。産業化した国は、まず手工業が
興り、続いて重工業へ主軸が移り、そして賃金の上昇をともないつつ第三次産業つまりサービス業や金融や観光へと動いていく。この過程で当然、労働者という資源を作るための教育のあり方も変わる。そうすると、人々の意識も変わり、これまた世代間の断絶がひらき、ときにはまた新しい文芸が花開くことになる。中国でも段々と海岸部から賃金があがり、工場が内陸部へと移動しているらしい。
おそらく、これが順調にすすめば、工場はますます西に進むだろう。現在、すでにビルマは工業化しつつあるらしい。インドは近代化移行期の真っ最中である。
 さて、この工場の西進が順調にすすめば東南アジア、南アジアも賃金が上がり、工場はやがてアフリカに到達する。現在すでにナイジェリア、エチオピアなどその他各国は工業化の兆しがみえるようだ。おそらく、アフリカ諸国が全面的に工業化したときにはいま人口爆発ももはや問題ではなくなる。ご存じのとおり、社会が発達すると必然的に少子化が起こるからである。この過程は今世紀中には確立するとおもわれる。

2013年4月14日日曜日

十世知るべき也

 「論語」の巻第一為政第二の三十二にこんな問答がある。孔子の弟子の子張が十世代先のことまで知ることができるかと孔子に問うたところ、孔子はこう答えた。殷では前の王朝である夏の制度や文化を受け継ぎ、なにかを除いたりまたは加えたりしたことがわかる。その次の周もまた殷から受け継いだものに対し同じようにした。その方向性をたどっていけば十世代どころか百世代先のことでもわかる。なんと孔子は現代でいう〈外挿法〉的な発想をすでに持っていたのだ。
 このブログの題名は畏れ多くもその「論語」の一節からいただくことにした。このブログで過去の歴史と現代世界の諸事象を紹介しつつ分析し、その方向を外挿した結果としての未来像を語っていきたい。

 ただし、筆者はかねてから日本語で流通している未来像に決して満足してない。それというのも、そこに重大な手落ちがみられるからである。つまり、人はなかなか現在の思考の枠組みから自由でいられないため、未来を構想する際、結局はたんなる技術の進展にのみ注意をむけて、社会全体の総合的な変化を見逃してしまいがちなのである。たとえば、現在でも所詮はとうてい普遍的ではない異性愛的家父長制にもとづいた核家族がどうしてこの先も相変わらず存続するとかんがえるのか。国民国家共同体が、民族の観念が、ずっと支配的でありえるのか。
 このブログでは特にそうした意識と社会や共同体の大規模な変化といった問題群に焦点をあてて未来像をかたっていくつもりである。具体的な話題としては、個人の意識、さまざまな段階の共同体、〈性〉、芸術、生殖、都市や交通や通信、農業および食料生産、メディアや教育など。

あと、日常的な話題や個人的経験なんかも折にふれて紹介したい。