2013年4月14日日曜日

十世知るべき也

 「論語」の巻第一為政第二の三十二にこんな問答がある。孔子の弟子の子張が十世代先のことまで知ることができるかと孔子に問うたところ、孔子はこう答えた。殷では前の王朝である夏の制度や文化を受け継ぎ、なにかを除いたりまたは加えたりしたことがわかる。その次の周もまた殷から受け継いだものに対し同じようにした。その方向性をたどっていけば十世代どころか百世代先のことでもわかる。なんと孔子は現代でいう〈外挿法〉的な発想をすでに持っていたのだ。
 このブログの題名は畏れ多くもその「論語」の一節からいただくことにした。このブログで過去の歴史と現代世界の諸事象を紹介しつつ分析し、その方向を外挿した結果としての未来像を語っていきたい。

 ただし、筆者はかねてから日本語で流通している未来像に決して満足してない。それというのも、そこに重大な手落ちがみられるからである。つまり、人はなかなか現在の思考の枠組みから自由でいられないため、未来を構想する際、結局はたんなる技術の進展にのみ注意をむけて、社会全体の総合的な変化を見逃してしまいがちなのである。たとえば、現在でも所詮はとうてい普遍的ではない異性愛的家父長制にもとづいた核家族がどうしてこの先も相変わらず存続するとかんがえるのか。国民国家共同体が、民族の観念が、ずっと支配的でありえるのか。
 このブログでは特にそうした意識と社会や共同体の大規模な変化といった問題群に焦点をあてて未来像をかたっていくつもりである。具体的な話題としては、個人の意識、さまざまな段階の共同体、〈性〉、芸術、生殖、都市や交通や通信、農業および食料生産、メディアや教育など。

あと、日常的な話題や個人的経験なんかも折にふれて紹介したい。

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