2018年1月16日火曜日

円山町のWOMBで開かれたDEVILMAN NIGHT by NETFLIX

WOMBの入り口にあったパネル
二〇一七年も暮れにせまった十二月二十八日は木曜日、Netflix独自制作配信のアニメ「DEVILMAN Crybaby」の関連企画が渋谷は丸山町のクラブWOMBにてひらかれたので行って来た。

 実はその日、筆者はあの知る人ぞ知る早稲田のあかねにてヤン・アスマンの「エジプト人モーセ」(原著一九九七)を中心として一神教というものを語るというトークイベントを企画して出席していたため、「デビルマン」の内容とあいまってはからずもタイムリーな催しとなった。


 筆者が着いたのは一時を過ぎたあたり。WOMBに来たのはもう八年振りである。とりあえず三階まで見て回る。一階のラウンジには大きなテレビといくつもある卓の上にそれぞれタブレットがおいてあり、Netflixの番組がかかっている。テレビでかかっているのは「パニッシャー」だったが、タブレットには「ルシファー」が流れていて洒落がきいていると思った。また、ラウンジには筆者がこのところ毎月かよっているあの社交イベントデパートメントHでおなじみのドラァグクィーンたるアマゾネス・ダイアンさんがいた。おもいかけず知り合いに合うのは嬉しいものである。
アマゾネス・ダイアンさん

 石野卓球の登板は三時から四時半までのようなのでとりあえずそこまでいることにする。一階でスタッフの方からなんらかのSNSに#デビルマンが蘇る というハッシュタグをつけて投稿すると飲み物一杯無料とのことだったのでフェイスブックに投稿。二階のバーで特別カクテルサバトというのをいただいてみると、これが単なるジントニック。

オリジナルカクテルサバト
一階のラウンジから三階のDJブース前まで客はおしなべておとなしい印象。なんだか往時のクラブの盛り上がりとの差を感じた。しかし、二階メインフロアには何人もの女性ダンサーが扇情的な格好で踊っており、またポールダンスもあってそこは悪魔的な雰囲気をかもしだす努力がみえる。


 石野卓球が回すのを待って、終りまでひとしきり踊る。やはりアニメの関連企画だけあってかあいまの映像が面白い。それに巨匠のプレイというのはやはりいいものだ。

 今回のイベントは日本が配信を介した映像産業の世界単一市場にいよいよ本格的に参入したことを象徴するものであろう。Netflixは二〇一五年の九月に日本へ上陸したが、二〇一七年の十二月を持って定着の成功にもひと区切りがついたのではなかろうか。
 

 

2015年8月19日水曜日

カリードについて

  この夏の筆者の家にはよく人が泊りに来る。八月十日月曜日にはカリードという奴がやって来た。こいつはその朝に連絡を寄こし、午後に到着することになった。午後、カリードが着いた。顔立ちはやや厚ぼったい印象があるも、眉が太く目鼻立ちの整った男前である。聞くとその朝はサンフランシスコでサーフィンをしており、このサンタクルーズでも暇を見て波乗りに興じたいとのこと。話し方は早口で気さく。端々に俗語が挟まれる。リベラルでありつつ、ドラマ「シリコン・ヴァレー」で知られるコメディアンのT.J.ミラーのような心地よい悪辣さも感じる。まさしく今どきの批判性のある知的で話のわかる若い者だ。

 以下は本人から聞いた話とそいつSNSページの内容を統合した情報である。このカリード・アルジャナールは一九九一年生まれ。ユタ州ソルトレイクシティ出身。両親はクウェート出身で八十年代に合衆国に渡って来たそうだ。先日、ユタ州の地元の大学を卒業し、現在は旅行中でスタンフォード大学に通う妹を訪ねがてら、北カリフォルニアからロサンゼルスへと南下しているとのこと。大学では医用工学を学んだ。ちなみに、筆者へ日本で就職できないかと訊いて来たので、筆者は以前京都で医療機器会社に勤めるアメリカ人と会って話した経験を語り、就職して暮らすとすれば京都などいいのではないかとすすめておいた。

 また、高校時代から大学時代にかけてはサッカーに打ち込み、一時はプロ選手も目指していたらしい(これはSNSで見た情報)。それに高校時代はトランスDJもやっていたことがあり、パーティで何度も皿を回していたそうだ。(これは二人でダウンタウンのスーパーに買い物に行く時に、音楽はなにを聴くか問われ、アーミン・ヴァン・ビューレンなどのダッチトランスなどと答えると話してくれた)。ちなみにカリードが以前作ったというトランスの曲を二曲聴かせてもらったが、ありきたりなティエストという感じで、あがることはあがるが、ちょっと独創性に乏しかった。本人もそれはわかっているようで、パーティでかけるにあたってはそれが妥当だろうとのこと。筆者も同意する。
 それに、大学では友愛会に所属していたそうだ。実は筆者が友愛会出の者に会ったのはこれが初めてのはずだ。
 バーニングマンに行ってみたくないかと訊いてみたところ、案の定、出来れば三年以内に参加してみたいとの返事。

 夜、カリフォルニア大学サンタクルーズ校のキャンパス内ある知る人ぞ知る学生の居住地であるトレイラーズをともに訪ねることにした。行きの車中でカリフォルニア大学サンタクルーズ校の二大伝統である420ディの集会ファーストレインについて話した。カリードは特に後者の話を面白がり、その後の帰りの車中では自分もそこにいたらまちがいなく参加しただろうとかたった。トレイラーズパークに着いた。しばらく共同部屋に過ごして住人らと語り合い。カリードの提案でキャンパスを散歩することにした。夏休み中のキャンパスはしずまりかえっている。歩きながらカリードがユタ州やそこの大学の文化について話してくれた。なんとユタ州の大学には酒を飲まない方針をとっている友愛会さえあるそうだ。変な話だ。また、ユタ州の保守性に愚痴をこぼしつつ、ソルトレイクシティは高気圧の日にスモッグが発生することも教えてくれた。

そしてわれわれは帰宅し、翌日にカリードは旅立って行った。若いアメリカの姿だった。


2015年7月3日金曜日

六月は第三週末の抵抗文化的な催し

   二〇一五年の六月は第三週の金曜日と土曜日に二日連続で抵抗文化的な催しに行った。金曜日はサンタクルーズ美術歴史博物館でひらかれたグレイトフル・デッドのジェリー・ガーシア展関連企画の抵抗文化祭。土曜日はサンロレンゾ公園でひらかれた夏至を祝う祭典であった。


金曜日、サンタクルーズ美術歴史博物館には午後五時頃に到着。三十分ほど過ごしたであろうか。来ていた人は年配の方が多かった。やはり六十年代と七十年代の現場に居合わせた人々なのであろう。尊いものだ。


 土曜日、夏至祭には知り合いがひらいた催しということもあって足を運んだ。来ている人は四十人くらい小規模な会だった。ただし、無料でヴィーガン料理が出て音楽の演奏もあった。最後にメキシコの先住民のシャーマンの方が出て、東西南北と太陽と天と大地の神々に祈るという儀式があった。その際、西方の神を祖父なる神と呼んだのだが、父でも母でもない祖父なる神という神格のあり方はなかなかいいと思った。





2015年1月17日土曜日

サンフランシスコ市庁舎前でひらかれたシャルリ・エブド襲撃事件追悼抗議集会に行った一日

 二〇一五年一月一一日は日曜日、シャルリ・エブド襲撃事件を追悼抗議するためにサンフランシスコ市庁舎前でひらかれた集会へ行って来た。集会自体にいたのは一時間ほどであったが、その一日は筆者の生活を通じて二〇一五年始めの世界情勢や文化を一日をよく表す一例となると思う。

 五時ごろには起きて、朝食を取りながらBBCのドラマ「ブロードチャーチ」の第七話と最終話を観る。合間にBBC国際で中継されていたパリの大規模デモの様子も伺った。

 九時前にサンタクルーズにある協同住宅のひとつで、おもにアナーキストが暮らし、サンタクルーズの活動界隈の集会所として使われることもあるザミ協同住宅に向かった。ザミ協同住宅に暮らす友人がその日バークリーでソードファイト、つまり中世の騎士の戦争や闘いに擬した遊びに行くこというので、筆者も途中までその車に乗せてもらうことになっていたのだ。九時にザミ協同住宅に着き、一時間ほどザミで待った。その間、友人マット・ウォルツとフランスとアメリカの政治的風土の違いなどを話した。マット・ウォルツの友人が運転する車が来た。そのバンにはご一家とくわえて二人、計六名の人がすでに乗っている。道中、やはりソードファイトに行くせいか、みなは「指輪物語」の歴史的背景の話などを和気藹々と語っている。一時間程してバークリーへ到着し、地下鉄アシュビー駅で降ろしてもらう。

 地下鉄に乗り、サンフランシスコのダウンタウンへ向かい、パウエル駅で降りる。中華街で鶏肉の炒麺を昼食にいただいた。 
マーケット通りへ歩くと、中華街の龍門前にあるフランス風のカフェ、カフェ・ドゥ・ラ・プレスにの「私はシャルリ」の標語が貼り出してあった。この店には思いがけずあとで入ることになる。

 集会は十四時に開始とのことだったので、それまでマーケット通りのコーヒービーン&ティーリーフで待つことにする。ところで以前ここに来た時にも感じたが、心なしかロシア語話者が多い気がした。実際、サンフランシスコには歴史深きロシア人コミュニティがあるのだ。カフェで本など読みながら待つ間に集会に誘ってくれた友人からメールが届く。もうすぐダウンタウンに着くというので、合流することになった。スイスはヴァレー出身の若者である。フランス人ではないが、フランス語話者ということもあってか、今回のシャルル・エブド襲撃事件を憂慮したらしい。そいつが来た。市庁舎前へ向かう。途中で仏教僧を装った物乞いから平安は祈られつつ半ば強引に寄付を求められるも、同行のヴァレー人が「平和はただであるべし」と一喝し、ことなきを得る。特殊な物乞いというのもなんとなくパリを思い出させた。

 市庁舎前に来た。すでに黒山の人だかりである。二時をしばらく過ぎて、まず黙祷。続いて事件の犠牲者の名前が読み上げられ、「ラ・マルセイエーズ」を歌う。同行していた友人のフレデリック・レーは近くに立っていた人と話し始め、表現の自由を語っている。しばらくしてレーの提案に従い名残惜しみながらもその場を去って食事に行くことにする。

  中華街を目指して東へ歩く。途中、ちょっと迷いつつグレイス大聖堂にも寄る。この大聖堂の壁画は諸宗教の融和を表しているため、今回の事件との不思議なつながりを感じた。

 中華街へ着いた。麺の専門店でワンタンを食べる。レーがその時現金をあまり持っていないというので、あとで飲み物で代えるということで、その場を筆者が奢った。レーの提案により、龍門前のカフェ・ドゥ・ラ・プレスへ行くことにする。途中、胡弓を弾いている人がおり、レーが楽器の名を気にしていたので、あれはペルシアの弓というのだと教えた。

 カフェ・ドゥ・ラ・プレスに着いた。席に座り、テレビへ目をやると早速さっきの集会の模様がパリのデモとともに報道されている。その時たまたまヨーロッパ史に関する総合的な本を持ち歩いていたので、それをヴァレー人に見せながらスイスの話などを色々聞いた。しばらくして、レーの友人でいまはサンフランシスコに暮らしているという女性が我々に合流し、襲撃事件や集会や現代フランスのことなどを説明し、語り合った。

 ビールを二杯、レーに奢ってもらった。美味かった。二十過ぎとなり、そろそろサンタクルーズへ向けて帰りださねばならない。三人で地下鉄のモンゴメリー駅まで行き、女性は反対の方向へ帰るようでそこでお別れした。地下鉄に乗り、ミルブラエ駅で降りる。カルトレインへ乗り換えてサンノゼまで出なければならないが、次の便まで四十分ほど間があったので、これまたレーの提案で駅の周りを歩き回ることにする。ミルブラエを歩くのは初めてであった。ミルブラエには中華料理屋やタイ料理屋、ヴェトナム料理屋やマッサージ店が立ち並びアジア系の人々が沢山暮らす街のようだった。レーが通行人に煙草をせびり、首尾よく煙草を一本もらうも、ライターがないというので、セブンイレブンに入った。レーはそこでライターとサンドイッチを買った。

 カルトレインに乗る。サンノゼまでの一時間あまりの間、ひたすらヨーロッパについて話した。サンノゼのディリドン駅に着いた。バスに乗り換えてサンタクルーズへ帰った。ついに帰宅したの零時半ごろだっただろうか。散文的でありながらも確実に現在の世界のあり方に触れた一日だった。
 

2014年12月28日日曜日

映画"Neighbors": 地価と界隈の物語

 この二〇一四年の暮れ、セス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグ監督の映画「インタヴュー」が話題をさらっている。「インタヴュー」をめぐる一連の狂騒はさておくとして、ここでは今年ローゲンが送り出した別の映画について視点を提供したい。日本未公開の映画「ネイバーズ」である。一応、DVDでは字幕つきで観られるようだ。「ネイバーズ」は二〇一四年の五月に公開され、六月には町山智浩がTBSラジオのたまぶくろのコラムにてその内容とサンタ・バーバラで発生した銃乱射事件に絡んだ批判を合わせて紹介した。筆者が観たのも六月であった。

 この映画の脚本、設定、ギャグの数々はきわめてアメリカ社会の文脈に依存しており、これが外国で受けるのは困難だと思われる。解説が必要なコメディというのは売り出しにくいだろう。しかし、解説が必要であればこそ内容を読み解くことによってその文脈を理解するきっかけとなりえる。この映画を理解するには、アメリカの大学における友愛会やその伝統を知らねばにらないし、昨今のアメリカ社会における大学内での性暴力への議論も踏まえておいた方がいいだろう。ところで、この映画にはアメリカ人には明らかな主題が背景にある。アメリカ人の不動産への関心である。

  この話はセス・ローゲンとドラマ「ダメージ」などでおなじみのローズ・バーン演じる乳飲み子を連れた若い夫婦が瀟洒な住宅地に引っ越して来るところから始まる。その住宅地の場所ははっきりとわからないが、大学のある東西いずれかの海岸部の都市なのだろう。マサチューセッツ州の大学街かも知れないし、オレゴン州ポートランドあたりをにらんでいいかも知れない。実際の撮影はもっぱらロサンゼルスで行われたようだ。さて、その夫婦は映画の冒頭で、そのあとの落差を際立たせるためか、大げさにその界隈の素晴らしさをたたえつつ、これから始まる生活への希望をうたうのだ。その際、界隈の価値を表す存在として主人公夫婦が近所に住んでいるゲイカップルをみてはその土地のリベラルさを喜ぶのだ。

 この映画では以降、そのゲイカップルは登場しないが、社会的文脈を知らないとその意味を見落としてしまうだろう。ゲイが、特にゲイカップルが住んでいる土地は地価が高くなるのである。あるいは少なくとも地価の指標になる。ゲイカップルが暮らしているということはそこは安全であり、リベラルであり、つまり住民の学歴や収入が高いということを暗に示している。しかも、ゲイカップルは異人種カップルでもある。都市経済学者のリチャード・フロリダはある都市の創造性へのものさしとして、ゲイ指数、ボヘミアン指数、メルティングポット指数を採用しているが、この映画の冒頭部はそうしたフロリダ的議論を踏まえているのだ。

 この映画には中盤にもうひとつ夫婦の地価への関心を示すシーンが登場する。隣の友愛会の毎夜続くどんちゃん騒ぎに耐えかねた夫婦がその家の売却を検討し、リサ・クドロー演ずる不動産仲介業者に相談するのだ。すると、夫婦は仲介業者から友愛会が引っ越したため、その界隈、つまり家の価値が下がってしまったこと知り、そこから夫婦がついに友愛会への反撃を決意
するのである。この流れをみると、この夫婦の反撃への動機が、単なる友愛会がもたらす騒音や子供への悪影響というよりも(それも勿論あるのだが)というよりも、地価の下落の阻止という長期的な見通しに立ったものだとわかる。

 実はこの映画はアメリカの中流階級の地価への関心に基づき、題名の「ネイバーズ」というのはお隣さんやご近所というより、土地の単位としての界隈という意味に取れるのである。

2014年11月23日日曜日

"The Marriage Act: The Risk I Took to Keep My Best Friend in America, and What It Taught Us About Love"

 今回は友人が二〇一四年の二月に出版した自身のある経験を語るノンフィクション「結婚という行動 アメリカで親友を守るために冒した危険とそれが愛について教えてくれたこと」を紹介する。著者のライザ・モンロイはシアトル出身で、ニューヨークにあるリベラルアーツカレッジを卒業後、しばらく勤めたのちにコロンビア大学などで論文指導の職などを経て現在はカリフォルニア大学サンタクルーズ校で創作の指導をしている作家だ。モンロイと筆者はカポエイラの道場で知り合った。何度か自宅のパーティに招いてもらったこともある。

 この本は二〇〇二年ごろから数年に渡って、モンロイが友人のエミル(仮名)との偽装結婚の経緯を書いたものである。ところで、序文によればこの本の出版には連邦問題としての同性婚を提起するという明確な意図があるとか。エミルは中東の某国、この言い方に従えば「エミリスタン」出身のゲイ男性。エミルが国に帰ると処刑の危険性もあるため、アメリカにおける市民権確保のため二人が偽装結婚することになる。ただし、この読みどころは偽装結婚やこの二人の関係をさておいて、むしろモンロイ自身の性格や内面、恋愛遍歴などであろう。そこは「セックス・アンド・ザ・シティ」を彷彿とさせる。モンロイは当時恋人がいながらにして、エミルとの友情を優先し偽装結婚に踏み切ったことや、またロサンゼルスの芸能事務所に事務職として勤めていた際、職場の同僚だった気になる男がかつて高級古書専門の泥棒だったことなど発見するくだりなど、事実は小説より奇なりとつくづく感じさせてくれる。この本の最後では、エミルがなんとグリーンカードを抽選で当てたことにより、結婚の必要性がなくなり、めでたく離婚へ至り、その後に二人ともあるべき伴侶を得るというところで話は幕となる。

 事実でありながら現代アメリカの政治的おとぎ話といった趣きの話であった。映画にするなら主演はエレン・ペイジあたりがいいと思う。

2014年8月15日金曜日

 "The Triple Package: How Three Unlikely Traits Explain the Rise and Fall of Cultural Groups in America" 

今年の二月初めに出版されたエイミー・チュアとジェド・ルーベンフェルドの夫妻による共著「トリプル・パッケージ」はまたもや物議をかもすことになった。エイミー・チュアとは二〇一一年に自身の子育ての経験を語った回想録「タイガー・マザー」で一躍話題をさらった法学者である。著者夫妻は先立って一月にこの本の内容を要約した記事をニューヨーク・タイムズに寄稿している。また、四月にマサチューセッツ州アマーストでひらかれたTEDではこの二人が本の内容を語った。YoutTubeにはこれ以外にも二人がこの本について語っている映像がいくつもある。この本はその内容から人種差別的と反発もまねいたようだが、実際に読んでみるとことさら扇情的なことは語られておらず、成功するには自信と努力と我慢が大切だという凡庸な啓発を説いているに過ぎなかった。ただ、この本はアメリカ合衆国で現在進行中の人口動態の変化と流通している偏見(否定的なものと肯定的なもの双方)を知るにはいいと思う。つまり議論をひろげていく叩き台には向いているかもしれない。いずれにせよプロテスタントの白人が主流だったアメリカがもうすでに終わっていることを思い知ることができる本だ。それに「タイム」誌二月三日号にはインド系のジャーナリスト、スケトゥ・メータによる反論記事が掲載された

 著者はまずアメリカにあって、何故ある特定の社会集団が経済的、社会的、または文化的に成功するのかと問題提起をおこなう。そして、現在のアメリカで成功している代表的な社会集団として以下の八つの集団を例に挙げる。
 
 モルモン教徒。キューバ系。インド系。中国系(日本語ではむしろ華僑というべきか)。ユダヤ系。ナイジェリア系。イラン系(実はイラン系は民族的、文化的に多彩でありペルシア人ばかりでなくクルド人などもふくむ)。そしてレバノン系。

 ところで著者らは以上の集団をしめすのに民族でも人種でもなく社会集団という言葉を終始使っている。以上の集団は人種とも民族とも言い難いからである。モルモン教徒やユダヤ人を規定するのは宗教とその歴史的背景であり、イラン系や、インド系、ナイジェリア系も民族的、文化的に多様。社会集団という語を使うのが妥当だろう。また、この八つの社会集団は三つの条件を論じるためのあくまで例えであって、この本では議論の俎上に載せなかった成功している社会集団として日系とギリシア系が挙げられている。

 そして、これらの社会集団が共通して成功するための三つの条件を備えていると説く。この三つの条件こそが「トリプル・パッケージ」というタイトルの意味なのだ。以下がその三つの条件である。

①優越感。 Superiority Complex

 著者はまず社会集団にはときに他の集団と区別する優越感があるという事実に注目する。そしてその根拠として機能する各集団の歴史的背景を解説する。しかし、イラン系やレバノン系の歴史的優越意識の根拠を古代のペルシア帝国やフェニキア人の活躍に求めるのはいかがなものか。言いたいことはわかるが、この論述はどこまで実態に根ざしているのだろうか。

②不安感(あるいは困難または迫害ともすべきか)。 Insecurity
 
 ①と対になり、成功する社会集団はしばしば不安感がある、または不安定な存在なのだという。それへの解説は①を語るときよりも具体的である。ユダヤ人の苦難の歴史はいまさら述べるまでもなく、他の社会集団もそれぞれ偏見にさらされている。その不安感こそが努力へ駆り立てるのだという。

③情動の抑制(または我慢といってもいいかもしれない)。 Impulse Control

 成功へと導く努力を実践するためには情動の抑制が必要である。これには宗教的または文化的実践などが基礎となる。まさにマックス・ウェーバーが「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」で論じたとおりである。

 八章からなるこの本では始めの二つの章で以上の主題が要約して語られ、続く三つの章でそれぞれ三つの条件と社会集団を解説していく。第六章では神経症や鬱など三つの条件の暗黒面について触れている。最後の二つの章はアメリカ社会全体についての歴史とその未来についてそれまでの議論を踏まえつつ語り結論へといたる―いずれ三つの条件が保障するアメリカにおける成功とは特定の社会集団に属するのではなく個人に帰すものとなるであろうと。ただし、最後の二章はちょっと蛇足のような気がする。

 総じて論述が雑な印象は否めないが、売れることを狙った一般向けの書籍としてはこんなものかというところである。

 また、アメリカ社会における社会集団ごとの教育への期待のちがいについてはたとえばエマニュエル・トッドの理論なども合わせて論じてみるといいかもしれない。