2014年8月15日金曜日

 "The Triple Package: How Three Unlikely Traits Explain the Rise and Fall of Cultural Groups in America" 

今年の二月初めに出版されたエイミー・チュアとジェド・ルーベンフェルドの夫妻による共著「トリプル・パッケージ」はまたもや物議をかもすことになった。エイミー・チュアとは二〇一一年に自身の子育ての経験を語った回想録「タイガー・マザー」で一躍話題をさらった法学者である。著者夫妻は先立って一月にこの本の内容を要約した記事をニューヨーク・タイムズに寄稿している。また、四月にマサチューセッツ州アマーストでひらかれたTEDではこの二人が本の内容を語った。YoutTubeにはこれ以外にも二人がこの本について語っている映像がいくつもある。この本はその内容から人種差別的と反発もまねいたようだが、実際に読んでみるとことさら扇情的なことは語られておらず、成功するには自信と努力と我慢が大切だという凡庸な啓発を説いているに過ぎなかった。ただ、この本はアメリカ合衆国で現在進行中の人口動態の変化と流通している偏見(否定的なものと肯定的なもの双方)を知るにはいいと思う。つまり議論をひろげていく叩き台には向いているかもしれない。いずれにせよプロテスタントの白人が主流だったアメリカがもうすでに終わっていることを思い知ることができる本だ。それに「タイム」誌二月三日号にはインド系のジャーナリスト、スケトゥ・メータによる反論記事が掲載された

 著者はまずアメリカにあって、何故ある特定の社会集団が経済的、社会的、または文化的に成功するのかと問題提起をおこなう。そして、現在のアメリカで成功している代表的な社会集団として以下の八つの集団を例に挙げる。
 
 モルモン教徒。キューバ系。インド系。中国系(日本語ではむしろ華僑というべきか)。ユダヤ系。ナイジェリア系。イラン系(実はイラン系は民族的、文化的に多彩でありペルシア人ばかりでなくクルド人などもふくむ)。そしてレバノン系。

 ところで著者らは以上の集団をしめすのに民族でも人種でもなく社会集団という言葉を終始使っている。以上の集団は人種とも民族とも言い難いからである。モルモン教徒やユダヤ人を規定するのは宗教とその歴史的背景であり、イラン系や、インド系、ナイジェリア系も民族的、文化的に多様。社会集団という語を使うのが妥当だろう。また、この八つの社会集団は三つの条件を論じるためのあくまで例えであって、この本では議論の俎上に載せなかった成功している社会集団として日系とギリシア系が挙げられている。

 そして、これらの社会集団が共通して成功するための三つの条件を備えていると説く。この三つの条件こそが「トリプル・パッケージ」というタイトルの意味なのだ。以下がその三つの条件である。

①優越感。 Superiority Complex

 著者はまず社会集団にはときに他の集団と区別する優越感があるという事実に注目する。そしてその根拠として機能する各集団の歴史的背景を解説する。しかし、イラン系やレバノン系の歴史的優越意識の根拠を古代のペルシア帝国やフェニキア人の活躍に求めるのはいかがなものか。言いたいことはわかるが、この論述はどこまで実態に根ざしているのだろうか。

②不安感(あるいは困難または迫害ともすべきか)。 Insecurity
 
 ①と対になり、成功する社会集団はしばしば不安感がある、または不安定な存在なのだという。それへの解説は①を語るときよりも具体的である。ユダヤ人の苦難の歴史はいまさら述べるまでもなく、他の社会集団もそれぞれ偏見にさらされている。その不安感こそが努力へ駆り立てるのだという。

③情動の抑制(または我慢といってもいいかもしれない)。 Impulse Control

 成功へと導く努力を実践するためには情動の抑制が必要である。これには宗教的または文化的実践などが基礎となる。まさにマックス・ウェーバーが「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」で論じたとおりである。

 八章からなるこの本では始めの二つの章で以上の主題が要約して語られ、続く三つの章でそれぞれ三つの条件と社会集団を解説していく。第六章では神経症や鬱など三つの条件の暗黒面について触れている。最後の二つの章はアメリカ社会全体についての歴史とその未来についてそれまでの議論を踏まえつつ語り結論へといたる―いずれ三つの条件が保障するアメリカにおける成功とは特定の社会集団に属するのではなく個人に帰すものとなるであろうと。ただし、最後の二章はちょっと蛇足のような気がする。

 総じて論述が雑な印象は否めないが、売れることを狙った一般向けの書籍としてはこんなものかというところである。

 また、アメリカ社会における社会集団ごとの教育への期待のちがいについてはたとえばエマニュエル・トッドの理論なども合わせて論じてみるといいかもしれない。
 

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