木曜日の深夜、川又が我が家に着き、話したいことがあるというので、二時間半ほど早稲田にある知る人ぞ知る社交場あかねで去年から今年にかけて起きたという不倫騒動について聞いた。ちなみに川又は一月までその日曜日担当のスタッフをしていたのだ。それというのはつまり、不倫の三角関係が騒動を引き起こし、あかねに来る奴らも色恋には疎いものだからみなうろたえてしまい無闇にことが大きくなったというくだらない話であった。それはそれとして折から経営維持が立ちいかなくなっていたあかねが、その騒動によってますます崩壊に導かれ、閉店はやむを得ず時間の問題とのこと。川又はその騒動にほとほと疲れ果て、いわばあかねからの卒業旅行のつもりで北カリフォルニアに来たらしい。
土曜日の午後にバスでサンノゼに着き、タクシーに乗りウィンチェスター・ミステリー・ハウスに向かう。タクシーの運転手はシークの人であった。ウィンチェスター・ミステリー・ハウスでは我々は屋敷の内部をめぐるツアーに参加した。屋敷はウィンチェスター夫人が屋敷を増改築し続けた理由であるオカルト的ないわくを脇において面白かった。この屋敷は十九世紀末に最先端であった技術や趣味を無数に取り入れているのである。あとで川又が語ったところによれば、この屋敷は一種の要塞であり、それを築くメンタリティとはゴミ屋敷へのそれと同じものだという。
ウィンチェスター・ミステリー・ハウスからバスでサンタクララ駅に行き、カルトレインに乗ることにした。サンタクララ駅では四十分ほど待ったが、駅に昔のアメリカの鉄道を模型などで再現した小さな
サンタクララ駅の鉄道博物館 |
一時間半ほどカルトレインに乗り、サンフランシスコの駅から歩いてホテルに到着。一息ついて中華街を散策し、夕食をとることにした。夕食のあとにカストロで遊ぶことにしたが、私から提案してフォーサム界隈も見ることする。しばらくフォーサム界隈を歩いていると、さすがに川又がカストロまでの道のりが遠いと気づいたらしく、タクシーに乗ることにした。カストロでも一通り歩いて回り、エッジというバーに落ち着いた。ゴーゴーボーイが二人もカウンターの上で踊っていた。しばらくして二軒目に行くことにする。あの有名なQバーである。Qバーで思いがけずに知り合いに遭遇した。その人もサンタクルーズから遊びに来ていたようだ。Qバーのダンスフロアに眼鏡をかけたギーク風な人も男女ともに目立つ。やはりシリコンヴァレーの労働者などであろうか。みな世界の終りを寿ぐかのように踊っている。ひとしきり踊り、一時ごろにホテルに帰った。
翌日は日曜日。朝はグレース大聖堂に足を運ぶ。キース・へリングがエイズ撲滅を祈念して作ったという作品を観た。また、大聖堂の美術は総じて諸民族の和解と融和を主題としているようであった。なんとなくウォルト・ホイットマンの詩を思い出す。ところでグレース大聖堂の道をはさんだ向かいにはフリー・メイソンの支部があった。
グレースの大聖堂を後にして市庁舎前のアジア美術館に行き、そこで二時間ほど過ごす。アジア美術館には仏像や神像も多数あったため、教会に続いて神社仏閣をめぐった気分である。アジア美術館の「ゴージャス」を主題とした企画展は安土桃山文化の華麗さを思わせた。森村泰昌の作品もおいてある。
アジア美術館を出て、ダウンタウンで昼食をとり、そしてリージョン・オブ・オナー美術館へバスで向かう。古代や中世の美術は皆無ではないがあまりそろえられておらず、ルネサンス以降の作品をおもに集めた美術館のようだ。特に近世のフランドル絵画や近代フランスの美術に面白いものが多い。リージョン・オブ・オナーを美術館のもそろそろ閉まることになり、景色で知られているらしい西の崖へ向かった。そこのダイナーで一休みして、公園を降り、ジャパンタウンへ向かうことにする。ジャパンタウンを散策して夕食にする。ジャパンタウンではその日、Jポップの催しをひらいていたようだ。夕食後、歩いてホテルに帰った。途中にいくつも教会があったのが印象的だ。
翌月曜日はゴールデンゲートパーク内にあるカリフォルニア科学院へ行った。途中にヘイト・アシュベリーを通って行くことにした。筆者としてはカフェにでも入って街の雰囲気を味わいたいくらいだったが、そこは川又がせわしない観光をにらんでいたためゴールデンゲートパークへ急ぐことになった。カリフォルニア科学院は縦横にひろがった三次元的な博物館であり、実に見ごたえがある。一九〇六年の大地震の体験アトラクションや、プラネタリウム、熱帯雨林を再現した温室、その地下に設えられた水族館などいつまでも飽きないほどである。昼食も取りつつ三時間ほど過ごし、ゴールデンゲートパークをしばらく散歩したのちにバスに乗る。ダウンタウンでおりて、バートの駅で川又を見送った。
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