二〇一五年一月一一日は日曜日、シャルリ・エブド襲撃事件を追悼抗議するためにサンフランシスコ市庁舎前でひらかれた集会へ行って来た。集会自体にいたのは一時間ほどであったが、その一日は筆者の生活を通じて二〇一五年始めの世界情勢や文化を一日をよく表す一例となると思う。
五時ごろには起きて、朝食を取りながらBBCのドラマ「ブロードチャーチ」の第七話と最終話を観る。合間にBBC国際で中継されていたパリの大規模デモの様子も伺った。
九時前にサンタクルーズにある協同住宅のひとつで、おもにアナーキストが暮らし、サンタクルーズの活動界隈の集会所として使われることもあるザミ協同住宅に向かった。ザミ協同住宅に暮らす友人がその日バークリーでソードファイト、つまり中世の騎士の戦争や闘いに擬した遊びに行くこというので、筆者も途中までその車に乗せてもらうことになっていたのだ。九時にザミ協同住宅に着き、一時間ほどザミで待った。その間、友人マット・ウォルツとフランスとアメリカの政治的風土の違いなどを話した。マット・ウォルツの友人が運転する車が来た。そのバンにはご一家とくわえて二人、計六名の人がすでに乗っている。道中、やはりソードファイトに行くせいか、みなは「指輪物語」の歴史的背景の話などを和気藹々と語っている。一時間程してバークリーへ到着し、地下鉄アシュビー駅で降ろしてもらう。
地下鉄に乗り、サンフランシスコのダウンタウンへ向かい、パウエル駅で降りる。中華街で鶏肉の炒麺を昼食にいただいた。
マーケット通りへ歩くと、中華街の龍門前にあるフランス風のカフェ、カフェ・ドゥ・ラ・プレスにの「私はシャルリ」の標語が貼り出してあった。この店には思いがけずあとで入ることになる。
集会は十四時に開始とのことだったので、それまでマーケット通りのコーヒービーン&ティーリーフで待つことにする。ところで以前ここに来た時にも感じたが、心なしかロシア語話者が多い気がした。実際、サンフランシスコには歴史深きロシア人コミュニティがあるのだ。カフェで本など読みながら待つ間に集会に誘ってくれた友人からメールが届く。もうすぐダウンタウンに着くというので、合流することになった。スイスはヴァレー出身の若者である。フランス人ではないが、フランス語話者ということもあってか、今回のシャルル・エブド襲撃事件を憂慮したらしい。そいつが来た。市庁舎前へ向かう。途中で仏教僧を装った物乞いから平安は祈られつつ半ば強引に寄付を求められるも、同行のヴァレー人が「平和はただであるべし」と一喝し、ことなきを得る。特殊な物乞いというのもなんとなくパリを思い出させた。
市庁舎前に来た。すでに黒山の人だかりである。二時をしばらく過ぎて、まず黙祷。続いて事件の犠牲者の名前が読み上げられ、「ラ・マルセイエーズ」を歌う。同行していた友人のフレデリック・レーは近くに立っていた人と話し始め、表現の自由を語っている。しばらくしてレーの提案に従い名残惜しみながらもその場を去って食事に行くことにする。
中華街を目指して東へ歩く。途中、ちょっと迷いつつグレイス大聖堂にも寄る。この大聖堂の壁画は諸宗教の融和を表しているため、今回の事件との不思議なつながりを感じた。
中華街へ着いた。麺の専門店でワンタンを食べる。レーがその時現金をあまり持っていないというので、あとで飲み物で代えるということで、その場を筆者が奢った。レーの提案により、龍門前のカフェ・ドゥ・ラ・プレスへ行くことにする。途中、胡弓を弾いている人がおり、レーが楽器の名を気にしていたので、あれはペルシアの弓というのだと教えた。
カフェ・ドゥ・ラ・プレスに着いた。席に座り、テレビへ目をやると早速さっきの集会の模様がパリのデモとともに報道されている。その時たまたまヨーロッパ史に関する総合的な本を持ち歩いていたので、それをヴァレー人に見せながらスイスの話などを色々聞いた。しばらくして、レーの友人でいまはサンフランシスコに暮らしているという女性が我々に合流し、襲撃事件や集会や現代フランスのことなどを説明し、語り合った。
ビールを二杯、レーに奢ってもらった。美味かった。二十過ぎとなり、そろそろサンタクルーズへ向けて帰りださねばならない。三人で地下鉄のモンゴメリー駅まで行き、女性は反対の方向へ帰るようでそこでお別れした。地下鉄に乗り、ミルブラエ駅で降りる。カルトレインへ乗り換えてサンノゼまで出なければならないが、次の便まで四十分ほど間があったので、これまたレーの提案で駅の周りを歩き回ることにする。ミルブラエを歩くのは初めてであった。ミルブラエには中華料理屋やタイ料理屋、ヴェトナム料理屋やマッサージ店が立ち並びアジア系の人々が沢山暮らす街のようだった。レーが通行人に煙草をせびり、首尾よく煙草を一本もらうも、ライターがないというので、セブンイレブンに入った。レーはそこでライターとサンドイッチを買った。
カルトレインに乗る。サンノゼまでの一時間あまりの間、ひたすらヨーロッパについて話した。サンノゼのディリドン駅に着いた。バスに乗り換えてサンタクルーズへ帰った。ついに帰宅したの零時半ごろだっただろうか。散文的でありながらも確実に現在の世界のあり方に触れた一日だった。
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