2013年10月26日土曜日

映画「ゼロ・グラビティ」 新しい産業形態のもとの映画

十月二十日、映画「ゼロ・グラビティ」3D版を観て来た。これはメキシコの青春映画「天国の口、終りの楽園。」などで知られるアルフォンソ・キュアロンの異色の新作である。


 複雑な筋はなく、登場人物もただ二人。宇宙ステーションで事故が発生。サンドラ・ブロック演ずるライアン・ストーン医師とジョージ・クルーニー演ずるマット・コワルスキ隊員の二人の宇宙飛行士のみが生き残り、途中でコワルスキの自己犠牲にも支えられてストーンが地球への生還を果たすというそれだけの話である。やはり、見どころはその圧巻の3D映像。それというのも、全編が無重力の宇宙空間を舞台としており、映画に終始浮遊感が漂っている。さらにところどころでもの飛び散る描写があり、破片などが客席に飛び込んでくるのだ。「アヴァター」冒頭の無重力表現とか、パルクールを彷彿とするアクション描写を全面に押し出したような映画。観るエクストリームスポーツとでも呼べる作品である。ちなみに最後、ストーンは最後、中国の無人宇宙ステーションにたどり着き、それを使って地上への帰還を果たす。このごろの中国の宇宙開発という現実はあるにせよ、多分に中国市場を意識しているのだろう。

 似た作品にダニー・ボイル監督でジェームズ・フランコ主演の「127時間」がある。双方とも絶望的状況からの脱出を丹念に描いた映画であり、またエクストリーム・スポーツのような意識への働きかけを行う。おそらく、今後ますますこのように特に複雑な筋はない観るエクストリームスポーツのような作品は増える一方ではないだろうか。筆者は勝敗がなく、ただ意識の快楽を得るためのエクストリーム・スポーツの昨今の隆盛が現代の産業形態と内的な関係を持っているのではないかと直観している。そうするとエクストリームスポーツ的な映画もまたそうした背景に根ざしていることになろう。つまり、こうした映画こそがアルビン・トフラーのいう第三の波のもとにおける芸術の形式のひとつであり、産業に担い手であるジャック・アタリいうところのノマドの意識を反映をしているのだ。


 ところで町山智浩は十月二十二日のTBSラジオ「たまむすび」のコラムにて、別の生存帰還もの映画「キャプテン・フィリップス」を語る際に、その前週に紹介した「ゼロ・グラビティ」にも言及し、こうした生存のための苦闘を描く映画が人気となる理由として、昨今の合衆国におけるますます進む生活苦を挙げていた。
 いずれにせよ、世情を反映した映画というのは間違いないと思う。

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